先日、私の教えている看護大学で、ある記者の書いた記事を学生たちに紹介しました。
《ある大学で開かれた教育関係者向けのシンポジウムで、ひとりの教育社会学者が自分の研究成果を発表した。
県内の小学校の協力を得て、朝食摂取率と学力の相関を調べたものだった。(中略)
発表の中で、この研究者はテストでの『無回答』の多さを取り上げ、
データ対象とした小学生1人の白紙の回答用紙を紹介した。
そして『回答欄には何も書かず、隅っこの余白にルフィー(漫画ワンピースのキャラクター)を描いているんですよ。
しかも、これがぜんぜん似ていないんだ。』と笑ったのだった。
回答用紙にヘタクソな漫画を描かざるを得なかった子どもの気持ちを、
少しでも想像できなかったのだろうか?
私は取材で出会った子どもが『テストは意味わからんし、落書きして時間をつぶしている』
と話したときの顔を思い浮かべ怒りに震えた。
年代や地域から同一の子どもでないことは明らかであり、同じような子どもが少なからずいるということ、
それを自分の業績に使いながら、嘲笑する研究者がいることに暗たんたる思いだった。
真っ白な答案用紙の余白に描かれた『ぜんぜん似ていないルフィー』
が示す圧倒的なアパシー(諦め、意欲の欠如)こそが、学力問題、子どもの貧困問題を読み解くためのカギである。
そこに気づかないままの『学力向上対策』や『学習支援』は子どもには届かない。
おとな側のマインドが新たな排除を生み出している現状に手をつけないままの『支援』では、
子どもの貧困は解決しない。》
自分はそうでないつもりでいても、結果的に『ぜんぜん似ていないルフィー』を笑う側にいる自分に気づいたとき、
言いようのない後悔の念に襲われました。
福祉の世界でも、都などの研修会に参加する中でも似たような話に驚くことがありました。
これまで何度、私は利用者(弱い立場の人々)の「空白」を笑ってきただろう。
これまで何度、利用者(苦しみを抱えている人々)の諦めを利用してきたことだろう。
私は、『ぜんぜん似ていないルフィー』をもっと真剣に探して、
その意味に向き合わなくてはいけない と感じています。
就労移行支援施設すずかぜ
施設長・講師 大城 豊